ホントは違う年金問題

選挙が始まった。年金問題が焦点となっている。5200万件の行方不明。社保庁のだらしなさを槍玉に挙げつつ、「救済と改革」と称して、各党政争論議の目玉にしている。

だが・・・、年金問題とは、ホントは違う、もっともっと深刻なホントの「救済と改革」をしなければならない問題がありはしないか。

先日、新聞の投書欄にこんな記事が載っていた。

・・・・年金問題について、新聞やテレビでコメントしている国会議員やタレント、マスコミの人たちを見ていると、やりきれなくなります。
彼らには低所得者の現状が見えていない、貧乏人の代弁者など誰もいない。
私は民生委員として悲惨な情報に接するたびに、そう考え込んでしまいます。
彼らは口をそろえ「今まで年金を正直に払ってきた人は・・・・」と言いますが、その言には、税金を払いたくても払えない、年収300万にも満たない人達の存在が感じられません。
国立国会図書館の資料では、無年金者約80万人、基礎年金のみの受給者の平均受給額は月4万7千円足らずという。その事実をどう受け止めているのか。免除申請すら知らず、あるいは申請に出向く暇もなく働いていた無年金者の方々。それらの人々は生涯、何の恩恵も受けない。
現世よりあの世が美しいと思いたくなる人達に「美しい国」などという言葉より具体策です。
せめて、子供を立派に世に出した人には税で年金を賄うことなど考えてください・・・・・・・・。(朝日新聞7月14日「声」静岡県熱海市・播磨きみ子氏投稿)

いたく共感したのでここに全文を転載させて頂いた。

私の見聞録を附記する。

昔の職場の同僚「A」
晴れて結婚したのだが、従兄妹同士ということで子供は作らないことにして、二人だけの幸せのために長年の共稼ぎ、働きの甲斐あって立派な家も建て、定年。
晴れていただく年金が、夫婦とも満額の合わせて月48万円。悠々自適の生涯保障。

昔の職場の同僚「B」
晴れて結婚したのだが、職場結婚だったばかりか、仕込み済みだったので妻は子育て専業主婦。夫は少しでも収入を、と請負職人として転職。やがて次々と子供は5人。苦労の甲斐あって5人の子供は立派に成長。老夫婦二人となって、晴れていただく年金が、夫婦ともスレスレの合わせて月8万5千円。歳をとっては仕事はない。孫の顔を見るのは幸せだが、その親は自分の生活に精一杯で、そのまた親の面倒など見る余裕はない。気苦労続きの生涯不安。

現行では支給年金の原資として、現在の納入者の年金資金も当てられている。とすると「B」の子供5人は自分を育ててくれた親ではなく、子供を作らなかった他人の「A」に対して年金を納入していることになる。
子供を成人までに育てるには一人最低二千万円は掛かることまで考えれば、大変な格差。これでは、これまた問題となっている少子化をあべこべに奨励しているようなものである。

「A][B」二人とも真面目に一生懸命働いて来た典型的な古き良き日本人である。この親しき友と同様に、私も有難く年金を頂いている。自営業なので国民年金。国民年金は満額で月6万8千円、これではとても生活は出来ないにしても、原則として国民等しく頂ける有難い基礎年金の筈である。

昔の学友・・・高額受給者の友人が言っていた。「長年にわたって相当な額を納入してきたのだから当然だろう」まさしく当然である。
ちなみに、約40年前、当初の国民年金納入額200円程度。厚生年金350円程度と記憶している。
現在の年金受給者は、金額だけで言うならば「全納入金額」は、「受給5年」位でなくなっているだろう。後は、税金と引き続きの年金納入者の負担である。
国という組織に支えられスライドされて現在の額となっている。民間だったら当時と同額だったし潰れていたろう。
「俺達、現在年金を貰っている者は、当然と言うより有難いと言わなければならないな」「ほんとだ。有難いよな」友も肯いていた。

僅かな年金を借金の質に入れる生活保護受給者よりも貧苦の老人。
会社勤めで18年間年金加入、退職後知らぬがままに無申請。歳となって18年では無資格と知り、天を仰いだ老人。
偶数月の15日。キャバレー「ハリウッド」に必ず出向く絶精老人。
カラオケ通いに、旅行三昧。今日も旅行くオシドリ老夫婦。

いずれも私のご同輩である。

ホントは違う年金問題。
「消えた年金」はみんなで探せば出てくるだろう。
「ほっとけない」のは「消えた年金」ではなく、「矛盾だらけの年金」である。

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しょうがない

昨日のことは忘れても、65年前のことははっきりと覚えている。
「認知症だね、こりゃ。誰でも恐れていたことがやってきた。」なんて思ったところでしょうがない。

1945年8月6日
私は府立第11中学校の校庭にいた。よく晴れた日だった。毎日のように鳴り響いていた警報のサイレンが、不思議にも途絶えていて静かな日だった。
次の日からは、やたらとサイレンが鳴り響いた。それも警戒警報を飛び越した空襲警報だった。

ラジオから「新型爆弾」と聴いた記憶があるが、当時、「原子爆弾」という言葉は誰も知らなければ思いもしない。
あの大惨劇が繰り広げられていたとは、一般国民は全く知らなかった。
だが、トップの連中は大変なショックをうけて慌てふためいたに違いない。やたらと響いたサイレンはそれを象徴していたのだろうし、「しょうがない」とは思いもしなかったろう。

6日広島・7・8・・・9日長崎への原爆投下。15日終戦。

15日正午、動員されていた戦車工場からは自宅待機をして「玉音放送」を承れと命じられて、いわれるがままに自宅のラジオの前でかしこまっていた。母と二人きりだった。

アナウンスが、恐れ多くも・・・とはじまった。そして、
「・・・敵は新たに残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る・・・朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び以って万世の為に太平を開かんと欲す。」となるわけだが・・・・。

「玉音」が、高くなったり低くなったり、こごもったりひっくり返ったり、ほとんど聞き取れない。結局、こりゃ、「汝臣民、最後の力を振り絞って決起せよ!」の激なんだろうと思い込んでしまった。

なにしろ,戦争ばかりやっていた時代に育てられた,軍国少年である。
夫を亡くし困窮の戦時下を女手ひとつで5人の子供を育て、しかも長男を海軍兵学校に送っている、軍国の母である。
その時は、「負けた」なんて思いもしなかった。みんな等しく今の北朝鮮人民よりも重症の「見猿、聴か猿、言わ猿」の三猿となっていた、汝臣民であった。

原子爆弾が長崎に投下されたのは8月9日、御前会議でポッダム宣言受諾が決まったのが10日だから、確かに終戦を早めたのは事実であろう。早めたのは・・・・。

「あれで戦争が終わったという頭の整理で、しょうがない・・・・」。
おまけに、先日アメリカのお偉いさんが、この日本の大臣の「しょうがない」をうけて、「原爆投下がなかったなら、終戦が長引いて日本人数百万人が死んだろう」と、のたまわれた。たしかに事実となったであろう。だが、当時では「確率の高い予想」である。

今日のニュースで九州地域の水害が報じられていた。濁流渦巻くシーンを見て「しょうがない」と言えるだろうか。
天変、地変の災害を目の当たりにして「しようがない」と言えるだろうか。
まして原爆による大災害は一瞬にして10数万人の命を奪った人災である。

何事も、ことが終われば何とでも言える。「あれもこれも、しょうがなかったんだ」。
「しょうがない」とは「しかたがない」から発して、「諦める」に転じてゆく。
だから過去の事象に関連する言葉として、使われることが多い。

原爆は過去の事象だから「しょうがない」と言える、と言うのか。
数百万人の日本人が死ぬかもしれない「確率の高い予想」のもとに、見せしめとして殺された人々。その惨状を目の当たりにした広島・長崎の被爆者は何十年たとうと、眼前の事象として焼き付いているに違いない。

私も東京大空襲で親族を失ったが、そのときの惨状は何年たとうが眼前の事象として脳裏に焼き付いている。「あれはしょうがなかった」なんて言われたら、そいつをぶん殴りたくなる。
そんな関係者は勿論、大方の「汝臣民」は過去の事象とは思っていないだろう。
いや、思ってはいけないのだ。

「しょうがない」発言。意外にも重い発言であったのだ。
軽率だった、では済まなかった「しょうがない」発言を、次元の低い政治の駆け引きに利用された大臣辞任。これもまた「しょうがない」。

今日も暑い!冷や奴で、冷えたビール。豆腐に生姜をすって・・・と。
エ!しょうががない?・・・「しょうがない」か。

これもまた、間の抜けた「平和」である。

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大ニュース!首吊り・・・自爆装置付き歯車

巌頭の辞と称して「人生不可解なり」と書き残して華厳の滝に飛び込んだ青年「藤村操」。明治黎明期といわれた近代マスコミによって製造された自殺賛美ヒーローの元祖である。

明治は遠くなりにけり。
とは言っても、凡人には「不可解なり」の自殺事件が、同じように連綿と続いている。
ただし、時を経てさすがにマスコミにおける「自殺」の扱いは違ってきた。

いじめによる子供の自殺。
経営に行き詰まった成人の自殺。
行く末を悲観した老人の自殺。
集団自殺。

それぞれ社会の歪として取り扱う記事となっていることが多く、ヒーローとしての取り扱いなぞはない。
ただし、ニュースとしての取り扱いの大小は甚だしく不公平である。
この間、近所のマンションで飛び降り自殺があった。ニュースにならなかった。
同じ日、大ニュースがあった。

大臣の首吊り自殺。

国会議員の自殺は戦後では6人いたという。松岡議員はその7人目に当たるという。ただ現役大臣では初めてだという。
政治の世界は一寸先が闇とか言って凡人には量り知れない事があったとしても、同情なんかできっこない。

ブログキングの小田嶋氏が「自爆装置つきの歯車」と喝破していた。見事な喩えである。
このような一連の、政治家や役人などの「自殺事件」は組織の中の長い間にくわだれられた自爆装置つきの歯車が自爆した事件なのである。

私の永年住んでいる「我が街」で今、それこそ今日この時が最終戦となっている選挙戦が行われた。
市長と市会議員の同時選挙である。

わが街の市会議員は時代の波に従って25名の議員定数が18名となったので今までにない激戦となったようである。
また、わが街の今までの市長は32年という全国2番目の長期政権を維持している・・として有名?であった。
その古き市長が5月31日に引退した。

新しい市長は若い斬新な人を・・大方の市民はそう願ったに違いない。

各候補者は懸命に走り回り、今や声も枯れ果てて審判の時を待っている。
だが、中には古い利権としがらみを守るために押し上げられた「自爆装置つき歯車」のロボットとして製造されているように見えてならない候補者も居た。

選挙。この時ばかりは「国民主権」「市民主権」と、普段お目にかかれないお偉方が、街のじっちぁん、ばっちゃんに握手を求めてくる。

我ら、プア・シチズンよ、この唯一の特権を必ず行使しようではないか。

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