冬来たりなば・・。「お鍋」恋しい。昔も今も。
「お鍋」今昔物語。
今は昔。昭和20年5月25日。朝7時。東京大空襲の一夜が明けて、私は中央線の鉄道線路の上を歩いていた。
3月10日の東京大空襲を第1回とすれば2回目の大空襲だった。私はその一回目に焼け出されて、山の手の西荻窪の親戚の家に厄介になっていた。
当時、東京府立第11中学校という立派な名前の学校の3年生、「汝臣民父母に孝に・・」の教育勅語に洗脳されたパリパリの軍国少年であった。
当時の東京府は、空襲が激しくなった情勢から、中学校に対して、防衛のためと称し毎夜の宿直を輪番で学生にさせるように指示をしたらしい。おそらく軍国少年育成の教育の一環と考えたのだろう。
5月25日朝7時。私は西荻窪から足立区の綾瀬まで、まだ燃えくすぶっている焼け爛れた瓦礫の中を、当番となっていたその日の宿直の任務遂行のために、学校に向かってひたすらに歩いていたのである。
程なく学校だ・・と隅田川の鉄橋の枕木を、必死でまたぎながら歩いて行ったのを、未だに鮮明に覚えている。
腰には、母からもらった麦と芋。しっかりと結わいつけていた。
学校の宿直の食事は、給食なぞありはしない。当番の先生と学生がそれぞれ食えるものならなんでもいいからと、持ち寄ったものを、大鍋のなかにぶち込んで煮て食うのである。なにが入っているのか分からないが、立派な「お鍋」である。
学校に着いたのは午後6時。必死の思いでやっと到着したのだが、先生を始めみんな当たり前と言う顔をしている。
すでに「お鍋」が煮えていた。私も母からの麦と芋をぶち込んで早速ながら・・・・。
立つ湯気を見つめながら、誰もなんとも言わない・・・。
そして、ひたすらに食った。
うまかった。
大分前だが、テレビの、SAIKIとかいうばあちゃんの、アチャラカサイトで、「お鍋」だと言う料理番組を見た。
まつたけ、かに、えび、ぶった切って大鍋に入れていた。
「すごい。こりゃ札束を大鍋にぶち込んでかきまわしているゴッタ煮だ」
と、言ったのはうちのばあちゃん。
実はうちのばあちゃんが、SAIKIとかいうばあちゃんのフアンらしく、面白がってみているので、私も見せられていたわけだが・・・なんとも馬鹿ばかしくも・・・・・
平和である。
可哀相に、その昔、ビルマで、フイリッピンで、餓死した若い兵隊達は、さぞかし天空で目をむいていることだろう。
馬鹿馬鹿しい平和・・・どんな平和でも、戦争よりはよっぽどましである。
「お鍋」・・・そのうまさ。その暖かさ。
それは、
その時。その場所。その人・・・
によって、決められるものだろう。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)


最近のコメント