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コスモス・・・・旧立川陸軍飛行場

今時の電車は、至極快適。その快適電車の青梅特快に新宿駅から乗車して30分、西立川駅に着いた。
コスモスの昭和記念公園。駅のまん前から陸上橋で公園入り口まで直結されている。

快晴に恵まれた秋の一日。入場券売り場には長蛇の列。大人400円、子供80円。国立公園だから安いことは安い。そして・・・広い。何しろ飛行場だったんだから。

旧陸軍立川飛行場。1922年、帝都防衛構想の中核として設立。民間飛行場としても利用され、東京~大阪の日本初の定期航路、そしてあの神風号の出発地ともなった、という。

神風号。特攻隊ではない。
1937年、東京、ロンドン間を100時間を切る世界記録を達成した朝日新聞所属の民間機である。
当時、日本中で大騒ぎしていた様子が眼に浮かぶ。小学校一年生であった。束の間の平和のひと時、ヒーローとなった飯塚操縦士という名前も記憶にある。

立川飛行場は、もともと帝国陸軍飛行場である。
戦争末期にはB29への体当たりを目指した、神風ではない震天という特攻隊が編成された、という話も聞かされた。

そして戦後。
アメリカ空軍立川基地。フインカム基地。砂川事件。横田基地設立・・・。幾多の変遷を経て、1977年、日本政府に返換。跡地の東一帯は立川防災地域として自衛隊をはじめ防備・防災関係の各官公庁の施設が設立された。
飛行場の跡地の中央部に、昭和天皇在位50年を記念して作られたのが国営昭和記念公園というわけである。

コスモスの丘は一番奥。とにかく流れる人の波について歩いた。
結構広い。これが、かっての飛行場の一部だというから、飛行場とはどでかいものなんだなと感じつつ、同時に昭和の森となったどでかい木々は、当時はなかったはずだと、戦後の歴史を感じたりもした。

コスモスの丘。色とりどりの花の絨緞が一面に敷き詰められている。
一本ではか細い花も、群生すれば周囲を圧する見事な存在感。自然を生かす手入れも大変だろうと感じつつ満喫した。

やっぱり陸軍飛行場よりも、コスモスの記念公園のほうがいいのは間違いなかった。

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コスモス・・・ケイタイとサイフ

天高く馬肥ゆる秋の一日。

私は馬年でメタボ。天高くなくとも肥えている。妻の名は、どういうわけか、桃。馬と桃が、コスモスランク・ワンレベルの昭和記念公園に向かって勇んで出かけた。

電車で新宿経由で立川まで。今時の電車はすこぶる快適である。

終戦直後。
メインの山手・中央・京浜東北各線は確保されてはいたが、車両が空襲で焼けて徹底的にたりない。しかもガラスがないから窓はただの穴。穴だらけの車内は鉄がないから板でやたらと打ちつけての補強。ドアもないから板を横に打ちつけて下からくぐって出入りしていた。
地震で揺れる古い家屋のごとくグラグラときしみながら、走っていたオンボロ電車。

そんな想い出をたどりつつ、いつしか眠ってしまったらしい。
「本日はJR東日本にご乗車くださいまして有難うございました」とアナウンス。この電車の終点は新宿。これから乗り換えである。

ホームで見渡すと、桃がない。車内に眼をやるとポツンと鎮座している。
「オイ降りろ!」と叫ぶと、飛び出して言うには「何でここで降りるのか」・・・?
新宿の手前の池袋だった。あわてて又電車に飛び乗った。

「ご乗車有難うございました」のアナウンスのせい・・年寄は人のせいにしてよいのだ。
とにかく、冷や汗をかくくらいあわてた。

だって、馬はケイタイなんて持ってないし、サイフも持ってない。桃とはぐれたら行き倒れだ。

新宿駅で降りての乗り換え。迷路のごとき駅構内。
馬と桃、爺と婆は手を繋いで歩いていった。人前で手を繋いで歩く・・・なんて初めてだが、必死の思い。その思いが通じたらしく、親切な若者に教えられ、快適新鋭電車、青梅線特別快速に乗車、立川へと向かった。

インドアではケイタイもサイフもイラナイ。

アウトドアでは、馬と桃。爺と婆。
ケイタイとサイフ。持つべきか、持たざるべきか。

Tobe Or Not Tobe
目下苦脳中である。

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