« 2007年12月 | トップページ | 2008年4月 »

ギョ!アダルトサイトを開けちゃった・・・ブログの落とし穴

あ!俺のブログにトラックバック。
コメントどころかアクセスもない俺のブログに、トラックバックとくりゃあ、こりゃ開けちゃうよなあ。

そんなところで、あくせくと、じゃあないけど、全然疑いもせず誘導されるがままにトン、トンと、アクセスしてしまった。

「お客様の会員登録が正常に完了しました」
「今なら特別会員資格!キャンペーン期間中(2日以内)のお振込みで、今だけ¥90000を>>¥50000」
それから、
「重要事項・あなたの情報」 として、IPやネットワーク情報の細かいわけの分からない数字が連綿と、おどおどしい赤黒青のでっかい画面で、6ページにわたって次から次へとでてきた。

自動的にでてくるんだから、ただ見ているほかない。

最後に
「会員登録されたにもかかわらず、ご利用料金のお支払いがない場合など、悪質と判断されたお客様には、取得いたしました情報を元に法的な対応とらせていただきます。お客様のご自宅・職場・ご契約プロバイダーに直接ご連絡いたします。
また、お支払期限の過ぎたお客様には下記の文面にてご請求葉書を送らせて頂きますのでご了承下さい。」

その請求葉書なるものは、そのものずばりのエロ写真葉書で、個人特定登録情報と銘打って、
「あなたのIPアドレス、ブロバイダー、OS、ポート番号、個人認識番号」
などなどの項目が並んでいる。

なんだこりゃ・・と、眼パッチリと口アングリ。
思いもかけない場面の連続なので、瞬間的に身体が固まってしまった。

ところが、身体が固まってしまったのが良かった。なんにもしないで、そのまんま閉じてしまった。もっとも「対策のための資料」と咄嗟にひらめいてプリントをしておいた。これもまた良かった。

瞬間的には誰でもビビルだろう、なにしろ相手は脅しのテクニックを身に着けたその道のプロに違いない。誘導の手口も、私自身どうして入ってしまったのか覚えていない。勿論私の意思でも興味でもない。

先日、
熊谷のマラソン大会でランナーを誘導する車の次にパトカーが走っていて、パトカーがコースとは違う道に入っていったら、続くランナー達はパトカーについて行ってしまって、800メートルも多く走ってしまった。
というのがニュースになっていた。

このような状況を作為的にやられたのである。
騙しと脅し。詐欺と恐喝。明らかな犯罪である。

巧みに誘導されて興味を持ってしまって自らアクセスしてしまったとしても、開かれた文面は脅迫状そのもの。続く文面はまさしく恐喝である。逮捕状の発令される重罪である。

私は、早速、そもそもブログから始まったことなので、プロバイダーの相談室に連絡してみた。若い女性の声ながら、親切に長い事かけて、その対応について応答してくれた。

1、画面の誘導ポイントを絶対にアクセスしない事。
2、メールの疑わしきは開かない事。
3、無視する事。
4、ほっとく事。
5、何かの変化を感じたり、何か言ってきたら、公的機関に通報する事。

公的機関とは、勿論警察が主体だが、ほかにもいろいろなところに一杯あった。教えられたいくつかのインターネットを開いたら、その対処方法と、対策システムについて、縷々と説明されていた。

要は、どこでも「通報を待っている」ということ。状況調査、資料収集。犯罪者逮捕の強権発動のためにも、「被害者の通報」があってこそ。ということである。
相手は犯罪者である。やられたら直ちに通報しよう。

わたしは、すでに幾重にも面の顔の厚くなった0077の爺である。だから、すぐに開き直って、ご開帳できた。

若い真面目な新入社員だったら、一人思い悩んだかもしれない。
このくらいの金で済むのなら・・一瞬の迷いが一生を左右するかもしれない。
相手は犯罪者なのだ。負けないで、徹底無視。又は徹底ご開帳。といこう。
少しの勇気を持てばいいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京大空襲3月10日テレビドラマ・・その火の中に私もいた

確かに見た。黒い夜空の空中に炸裂する花火。赤い、そして太いしだれ柳となって広がって落ちてきた。モロトフの花籠、ばらまかれた38発のスナック・ナパーム焼夷弾。

テレビのシーン通り、その瞬間の情景が鮮烈によみがえってきた。

テレビでは焼夷弾が胸に刺さってのけぞって倒れるシーンがあったが、これはありえない。直撃されれば身体は吹っ飛んでしまっただろう。
何しろ、空から降ってきたのは長さ60センチ直径15センチぐらいの6角形の厚い鉄筒である。

だからアスファルトの道路に落ちたのは、パカーン!という、ものすごくどでかい乾いた音がした。我が家の前は市電が通る大通りだった。

向かいの家の軒下から火が噴出してきた。
パカーン。でかい音ばかり。人が走るが声は聞こえない。

逃げろ。逃げろ。
何しろ天から火が降ってくるんだから。天の声なんだ。
兄はトランク、わたしはリュック。母は風呂敷。妹はランドセル。

母と兄と妹、そして中学3年15才の私。兄は海軍兵学校に合格して江田島へ行くくことがきまっていた。妹は一週間前に学童集団疎開先から帰ってきたばかりの国民学校6年生。

夜中なのだが明るい。一塊になって逃げた。火のないほうへ。
いくばくかの空き地にたどり着き、一息ついて見回した。沢山の人と荷物、母が「ここは駄目!」 母は関東大震災の体験者であった。

頭によぎった。先日、爆弾が落ちて空き地となったところ。しかもそばに墓場がある。千住回向院の墓場である。そこへ!

途中、火の中をくぐった。だが炎は見えない、息が出来ない。煙? いや酸欠状態だったのだ。立って走ったら窒息してしまうから、腰をかがめ頭を地面にこするようにして走った。

テレビのシーンでは、立って走り身体に火がついて転げまわる人たちの姿が、頻繁に見られたが・・・。実際は、窒息か、二酸化中毒か、瞬時に倒れた人が殆どだったのではないかと思う。

「首切り地蔵の頭が紅の炎の中に燃え上がって見えた。土手上の枕木が火を吹いていて、向こう側の千住回向院の大地蔵の顔を浮き上がらせていたのだ。江戸時代の小塚原刑場跡、回向のための大きな石地蔵、通称首切り地蔵。その墓場の石塔に私はしがみついていた。火の粉混じりの突風が頭上に渦巻いていた。恐怖の一夜が明け、あるはずのない家路に向かう道すがら地獄を見た。馬が丸こげとなってひっくり返っている。人が虚空をつかんで黒こげとなっている。そしてあの空き地には・・沢山の人が重なってこげていた。我が家の焼け跡にたどり着いたとき、母が大声を上げて泣いたのを思い出す。」

かって書いた手記を読み返してみた。テレビのシーンとフラッシュバックして、あの悲惨な映像が鮮明に浮かび上がってきた。

「こととひばし」の惨状。
いくら「愛」をテーマにしたとはいえ、「君の名は」の「数寄屋橋」とは違う。この悲惨さの前に「愛」のテーマは吹き飛んでしまった。よくぞ画いた、と思う。

「もう殺さないで」と叫びつつ死んでいった人たち。
その後生き延びた被災者のそれぞれの人生。それは又別のドラマである。
私のようにただ生きてきただけの老人にも、孫が8人いる。あの時死んでいたら、この孫8人はいなかった、ということになるのも、人生だ。

それにつけても、無差別絨緞爆撃なるものを企画し実行したカーチス・ルメイ大将なる当時のアメリカ空軍参謀総長に対して、「我が国防衛力の拡充強化に関して、米軍の対日協力、援助に寄与した」として、昭和39年12月7日、内閣総理大臣 佐藤栄作、そして裕仁大日本国璽入りで、「勲1等旭日大綬章」が送られている。

自国民が大量に殺されたその国のトップが、大量殺人の張本人に勲章。このなんとも不可解な馬鹿げた事項に関してテレビは全然触れていない。
10日当日放映されたドラマは少し触れていたが・・・。

昔のチャップリン映画のラストシーン。
「一人殺せば犯罪者だが、一万人殺せば英雄だ」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京大空襲・・3月10日

私はただいま78歳の爺である。
つまり63年前の1945年3月10日は15才の東京府立第11中学校3年生だった。当時、毎日中学校へ・・ではない、国民総動員というわけでゲートル巻いて鉄兜を背負って戦車工場へ通学して戦車を作っていた。といっても資材がないからやる事がない。空襲警報が鳴るたびに防空壕に入ったり、解除されては工場内へ。という日を繰り返していた。

当然、工場の近辺に爆弾が落っこちた事もあるし、自宅の近所にも夜中に爆弾が落っこちて、すさまじい閃光と音響におったまげて縮みあがった事もある。
だから毎日鉄兜とゲートル巻き。そして毎晩着の身着のままでゲートル巻いて寝ていた。

3月10日。いや9日の午後11時頃、警戒警報、続いて空襲警報。起きて退避の準備。とはいっても着の身着のままゲートル巻きのそのまんまだから、じっと待つしかない。
そしたら間もなく、空襲警報解除。時間は定かではない。
ほっとして寝転んだ。・・・ところが・・・

突然、猛烈な高射砲の炸裂音とともにうなり声のような爆音が聞こえてきた。

おったまげて、飛び起きた。飛び出した。見上げた夜空に花火が上がっていた。
あとで知らされた、いわゆるモロトフの花籠。36発の焼夷弾が空中で花開いた瞬間を見たのだ。その時、空襲警報発令。なにがなんだか分からなかった。

事前に隣組やら防護団とやらで訓練を受けていたバケツリレーや火はたきなんて、思いも浮かばなかったし、どこに誰がいるのかも全然分からなかった。

それから、火の中の死に物狂いの逃避行が始まった・・・・

今晩9時から、TBSテレビで「東京大空襲・3月10日」と題するドラマがあるという。

なぜか、いやだ見たくないという思いがする。身に染み付いた「恐怖」からか・・・。

だが絶対に「忘却の彼方」などに行かしてはならない実録である。
がっちりと拝見して、己の体験を踏まえて思いを新たに、また綴ってみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年4月 »