ゼロ戦と恐竜
暑い。
爺さんは山へ。
綺麗に整地された上野の山には柴はなかったが、根岸国民学校卒業生の爺にとって、故郷の山は有難きかな、と勇んで歩いていた。
婆さんは川へ。
翠の大樹が続く並木通りは、木漏れ日を通した陽射しがキラキラと波打って光り、湯気をはらんだ川のようになって、「桃」がドンブラコ、ドンブラコと流れていた。
婆さんは昔から「桃子」という。
息子夫婦と孫3人、柴刈爺をひきつれた「桃」が目指したのは、「鬼界が島」ならぬ「国立科学博物館」。もっとも、爺婆にとってはやっぱり「奇怪が島」であったが。
「国立科学博物館」。昔懐かしいレンガ造りの建物が厳存していた。今時の高層ビルに比すべくもない3階建て。そもそも、建物は地べた20坪の3階建てより、60坪の平屋のほうが高級なのだ。
ありがたいことに65歳以上の老人は無料という。
改札口で「お歳は?」「1930年製。このビルと同じ」「はあ、まだまだ持ちますよ」
気のきいた山彦。
「次は証明になるものをお持ち下さい」「顔見れば分かるでしょ」「キマリですから」
やっぱり律儀なお役人だった。
地球館「地球生命史と人類」。日本館「日本列島の自然と私たち」。
限られたスペースで見事に配列された展示品。写真撮影・携帯電話・順序など殆ど自由で、多くの子供達が、歩き、写し、書き、話をしていた。
なによりもITシステム。ボタンを押せば、モニターが光り・動き・話し・指導する。孫達は片っ端からボタンを押しながら自由にに走り回っていた。
「お手手繋いで」の爺婆の心配をよそに、親達はケイタイで集まれといえばいいんだと、心配する気配もない。
いつしか爺婆は「ゼロ戦」の前に立っていた。今日、孫を連れきた息子が、孫の年頃に一緒に立っていたこの場所。見上げれば、ラバウル沖の海底から引き上げられたというゼロ戦が、長い歳を経て、なおその雄姿を見せていた。
この場所に孫達はいなかった。
同じ頃、別室の巨大な空飛ぶ恐竜を見上げていた。
70年前のゼロ戦が飛んでいた空に、思いを馳せる老人。
1億年前の恐竜が飛んでいた空に、思いを馳せる幼子。
その老人と幼子が一緒に並んで歩く帰り道。長いサイレンが鳴った。
「あれ、東京ではお昼にサイレンが鳴るの」幼子は一斉に「はらへったー」
本日、8月15日。
佇んで黙って頭を垂れる爺婆を、幼子達は不思議そうに見上げていた。
8月15日の由来を話して聞かせながらの親子3代団欒のランチ。
ありがたきかな平和。
精養軒のハヤシライスは、うまかった。
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